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「八幡荘(中世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
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八幡荘(中世) 戦国期に見える荘園名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
八幡荘(中世) 鎌倉期から見える荘園名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
八幡荘(中世) 室町期から見える荘園名坂田郡のうち応永2年12月18日の「比丘尼妙乗田地売券」に「近江国坂田北郡細江南郷八幡庄内五条拾里参坪」とあり(長浜八幡神社文書/大日料7-2),応永7年12月12日の「良達田地売券」に「坂田北郡八幡庄内六条九里壱坪」(長浜八幡神社文書/大日史7-4),応永18年12月25日の「沙弥道性田地売券」に「坂田北郡細江南郷八幡庄之内六条九里壱坪」と見える(長浜八幡神社文書/大日料7-15)さらに大永8年12月7日の「東福寺菊乗坊売券」にも「近江国八幡庄内七条六里三坪」とある(総持寺文書/東浅井郡志4)その後,天正7年5月15日には「八幡庄三町まち」のうち1町が豊臣秀吉から舎那院に寄進され(舎那院文書/大日料11-7),天正13年には八幡荘4,660石が山内一豊に宛行われている(山内文書)また天正19年4月には,秀吉より八幡神社と舎那院に対し,八幡荘内よりそれぞれ170石・20石が寄進された(八幡神社文書・舎那院文書/荘園志料)なお,天文7年の浅井・六角両氏の戦いでは,六角定頼の臣三井氏・平井氏が当地に布陣している(朽木文書)現行の長浜市八幡中山町・八幡東町あたり... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
八幡荘(中世) 鎌倉期から見える荘園名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
八幡荘(中世) 鎌倉期に見える荘園名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
八幡荘(中世) 室町期に見える荘園名摂津国西成【にしなり】郡のうち関白渡領「後法興院雑事要録」の文明11年条に,「渡領支配事壬九月二日……頼秀朝臣 摂州八幡庄,有名無実□□(返進カ)御教書」とあるのが初見(陽明文庫所蔵/吹田市史4)関白渡領とある所から,中世前期に近衛家領ではなかったかと考えられるが,建長5年10月21日付の近衛家所領目録(近衛家文書/鎌遺7631)には見えないただし,同目録中に「一,散所……〈同国〉草刈〈政所〉」と見え,さらに年未詳の勝尾寺田草苅田畠坪付所当注文に「〈八幡庄内〉三反,〈北大路一石二斗〉作人土用石次郎」とあり,勝尾寺が買得した草苅の地の名主職のうちに当荘名が見えることから近衛家に属した散所から当荘は生じたかと考えられる(勝尾寺文書/箕面市史史料編2)なお,勝尾寺田草苅田畠坪付注文(同前)に草苅荘・国分寺・乳牛牧内の地名が見え,現在の大阪市大淀区内に比定されるが詳細は不明... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
八幡荘(中世) 戦国期に見える荘名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」